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CPU界隈のヒーローと呼ばれる「ジム・ケラー」とは何者?
CPUやSoCの開発に関わる技術者たちの間で、「ジム・ケラー(Jim Keller)」という名前は特別な意味を持ちます。
彼は数多くの半導体企業を渡り歩き、そのたびに革新的なプロセッサの設計に携わってきたことで知られています。
単なるエンジニアではなく、「業界の流れを変える男」として語られることも少なくありません。
なぜ「CPU界隈のヒーロー」と呼ばれるのか?
ジム・ケラーの凄さは、技術力のみではないようです彼は常に「その時点で課題を抱えている企業」に身を置き、ゼロベースで組織や設計を作り直す役割を担ってきました。
しかも、成果が出始めるころには次の場所へ移っているという点もユニーク。
まるで困難な町を次々と救って去っていく西部劇のガンマンのように、彼は技術と成果だけを残していきます。
この特異なキャリアと再現性の高さから、ジム・ケラーは「CPU界隈のヒーロー」として語られているのです。
AMDの復活を支えた「K8」と「Zen」
ジム・ケラーが最初に脚光を浴びたのは、AMDに在籍していた1990年代末から2000年代初頭にかけてのこと。
彼は、当時のAMDのフラッグシップとなる「K7(Athlon)」と、その後継「K8(Athlon 64)」の設計に深く関与しました。
とくにK8アーキテクチャは、x86プロセッサとして初めて64bitに対応し、Intelを技術的に上回る存在となりました。
この時期、AMDは性能面でもシェア面でも非常に大きな存在感を放っていました。私も覚えていますが、AMDの歴史の中で数少ない「Intelを倒した年」でしたね。
その後、一度AMDを離れたジム・ケラーは、2012年に再びAMDに戻り、新アーキテクチャ「Zen」の開発に着手します。
当時、長く低迷していたAMDにとってZenは背水の陣とも言えるプロジェクトでした。しかし結果としてRyzenシリーズはIntelに対抗できる競争力を取り戻し、PCゲーマーの間でもRyzenブームが巻き起こりましたよね。
この「Zenの父」がジム・ケラーだったことは、今でも伝説として語り継がれています。
AppleのAシリーズにも関与
ちなみにジム・ケラーはAMDを去った後、Appleに移籍します。
そこで彼が関わったのが、iPhoneやiPadに搭載されている「Aシリーズ」プロセッサの初期設計です。
彼のチームは、iPhone 4以降に使われるA4やA5のプロセッサ設計を手がけ、Appleが「自社設計SoC」を展開する基盤を作りました。
Appleが現在、世界有数のシリコン開発企業として成功している背景には、この時期の設計ノウハウの蓄積があったと言っても過言ではありません。
TeslaやIntelにも在籍
その後、ジム・ケラーはTeslaに転職し、自動運転用のAIチップ開発に取り組みました。
ここでも彼は、ソフトウェア主導の設計ではなく、「ハードウェアから最適化する思想」で設計を進めたといわれています。
その次に在籍したのがIntelです。ここでは「10nm問題」や「旧来アーキテクチャからの脱却」といった課題に直面していました。
ジム・ケラーはIntelの社内文化にも大きな影響を与えたとされ、多くの設計思想に変化をもたらしました。
ただし、Intelでの在籍期間は約2年と短く、その詳細な貢献内容は今でも一部にとどまっています。
現在も業界の注目を集め続ける
ジム・ケラーは現在、AIチップの開発を行うスタートアップ「Tenstorrent(テンストレント)」のCEOを務めています。
ここでは「オープンかつ再利用可能なAIコンピュート基盤」を目指して、従来とは異なるアプローチでチップ設計に取り組んでいます。
彼は従来のレガシーなハードウェア文化に対して、よりソフトウェアフレンドリーなチップ設計を志向しており、GPUとCPUの境界を曖昧にするような次世代型アーキテクチャの設計にも挑戦しています。
AIやHPC(高性能計算)の世界でも、彼の設計思想がどう形になるのか、多くのエンジニアが注目しています。
我々普通の人間にはちょっと想像できない人生ですが、「伝説」としてみると非常に面白いですよね。IntelやAMDに今後戻る可能性は低そうですが、「ジムケラーがいる企業が勝つ」という法則は見逃せないですね。